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シッティング・ブルと並ぶもう一人の英雄 |
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クレージー・ホース |
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クレージー・ホースは数多い歴戦の勇者の中でも筆頭に挙げられる勇者であった。 1849年に誕生した彼の幼少の名前(本名)は、「巻き毛」であった。 |
| スー族の有名な酋長といえば、天才軍師であるシッティング・ブルやレッド・クラウドの名前が挙げられると思うが、ここで紹介する「クレージー・ホース」は、軍師としての才覚も、もちろん持っていたけれど、なんといっても、「狂える馬」の名前が示す通り戦士としての名声が占めていた。 白人との抗争での活躍は、もっぱら上記に挙げた二人の偉大な酋長と手を結んでの戦いが多かったようである。 |
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インディアン対合衆国政府の対立が激しくなり特に苛烈になった1865年〜1868年にレッド・クラウド率いる部族との提携により、インディアン連合軍は、ますます白人達にとって脅威の存在となっていく。その間に起きたフェッターマン大虐殺事件などは、レッド・クラウドと手を握り戦士として大活躍していた。 |
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1874年6月27日クワハディーコマンチ族の若者クワナ・パーカーが、コマンチ族、カイオワ族南部シャイアン族の連合軍を率いてテキサスにあった白人の交易所アドービ・ウォールズを襲撃。 |
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クレージー・ホースは、1876年、連合軍のリーダー格になり、近接するシャイアン族の女性と結婚した。 |
ローズバットの戦い
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有名な1876年6月24日のリトル・ビッグホーンの戦いの一週間前の6月17日のこのローズバットの戦いは、合衆国陸軍ジョージ・クルーク軍総勢の第五騎兵隊の1000人とプレンティ・クー酋長率いるクロウ族とトム・コスグローブ率いるショショーニ族の二つの部族の連合軍合わせて300人の合計1300人が相手だった。 |
(リトル・ビッグホーンの戦いは別枠で)
クレージー・ホースの最期
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リトル・ビッグホーンの戦いでのインディアンの合衆国に対する勝利は、最大で最後のモノとなった。シッティング・ブル達は、カナダへ向かい(追い込まれて)合衆国はまたもインディアンを追い詰めていく。 |