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北アメリカの歴史の中で重要な役割を果たしてきたイロコイ族は
イロコイ同盟に加わった有名な五部族ー後に6部族になったーだけと考えられる事が多い。 しかし、言語学的にみると、 「イロコイ」という言葉はそれほど単純なものでは、なくて、より 強いイロコイ族の部族に征服されて吸収された数多くの部族も 含まれている。 ケベックとモントリオールのあたりに住んでいたローレンシア族が、 オンタリオ南部のヒューロン族に吸収され、そのヒューロン族'もまた 、となりあった二つのイロコイ族に同化されていったのが、その いい例である。 イロコイ同盟の結成は、イロコイ族にとっては重要 な出来事だったが、いつ結成されたのかは、明らかではない。 その構想は早くも!5世紀にはあったようで、一説によると、アワサ ーロングフェローの叙事詩では、誤ってチペワ族の酋長と書かれ ているが、現在では、単なる伝説上の人物とされているが、 1570年ごろに結成したしたと云われている。 しかし、ほかの説によれぱ、1650年にデガナワイダが、互いに 対立していた5部族一モホーク族、オナイダ族、オノンダガ族、 カユーガ族、セネカ族を部族同盟として纏め上げたという事である。 そして、1753年に、白人にノースカロライナでの領地から追われた タスカローラ族が、北へ移動してきて同盟に加わりその力は一層強大なものになった。それ以後、6部族同盟として知られる様になった。 この強カな同盟に加わっていた部族の子孫は今もカナダと合衆国 の東部国境地帯に住んでいる。 当時の同盟を運営していたのは、 同等の権限をもった50人の氏族代表者(セイシャム)だった。 セィシャムは終身制で、それぞれの氏族から選ばれていた。 イロコイ同盟が果たした主な役割は同盟内部の平和を保つ事と 対外関係を処理する事で、それぞれの部族内のことには関与し なかった。 同盟会議では、モホーク、オナイダ、カユーガ、セネカの4部族は、決められた順に投票していたが、オノンダガ族には投票権がなく 、会議に出席して満場一致で採決出来る様に手伝うだけだった。 やがてこの同盟は、アルゴンキン諸部族やほかのイロコイ族に 武力で対抗できるほど強大なものになっていった。 もしもヨーロッパ諸国からの植民者達がやってこなかったら恐らく インディアン帝国が誕生していた事であろう。 この同盟は、慎重に対外政策をとって中立を守っていたにもかか わらず、北アメリカ大陸を支配下におこうとするヨーロッバ人たちの 戦争に、結局はまきこまれてしまった。 オランダ人から銃を手に いれてはいたものの、同盟は18世紀中頃にはかなり弱体化していた。 カナダと合衆国にその領地が分割された事によって、更にその 衰退に拍車がかけられた。アメリカ側のイロコイ族は、インディアン 準州に追いこまれこそしなかったが、独立戦争に勝ったアメリカ人 たちが押し寄せてきた為、力を盛り返す事は出来なかった。 しかし、19世紀初頭、セネカ族の予言者ハンサム・レイクが保留地を旅して、素晴らしいお告げがあったと説いて回った事により 保留地のインディアン達は少なくとも精神的には活気を取り戻し てきた。 ロングハウス教と呼ばれたこの宗教は、古いイロコイ族の 信仰とクェーカー派のキリスト教とがまじりあったものだった。 この教えを信じたイロコイ族は非常に多く未だに熱心な信者が何千 もいる。 ロングハウス教というのは、法典に書かれた沢山の道徳律 を守る宗教で、その道徳律は、木製の「神殿」で行われた歌や踊り 説教などに織りこまれていた。 その教えの多くは、白人の慣習に そまらないようにと説くもので、そのためには神を信じ生命と自然と を重んじるインディアンの伝統を守って最大の災いの元 となった酒を断つことだとしている。 後にハンサム・レイクは白人の慣習に反対する立場を修正して鋤きを使うことを認めたが、これがイコイ族の基本的な制度の一つに 大きた影響をおよぼすことになるとは、予想もしていなかっただろう。 イロコイ族の諾部族が女族長制をとっていたこと からもわかるとおり、主食のトウモロコシを育てていた女たちの役割 は重要だったが、これ以後、畑を耕すのは男の仕事となって何世紀 もの間、続いてきた女だけが作物を育てるという慣習は終わりを告げた。 |