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年代
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戦争・事件
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概説
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1675年
〜
1678年 |
キング・フィリップ戦争 |
マアチューセッツ。
ワンパンノグア族、ニアンテック族ペンナクック族、
ノーセット族の連合軍と開拓者の戦争
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| 1799年 |
トリンギット族のロシア交易市場襲撃 |
北大西洋岸(アラスカ)に居住するトリンギット族。
この地方のインディアンは、早くから白人と関わり
があり、ロシア人の探検家に始まりイギリス、アメ
リカと続いた。白人たちがインディアン居留地に
入り込み始めた為。 |
| 1812年 |
バトンルージュ戦争 |
クリーク族と白人植民者との戦争。
アンドリユー・ジャクソン台頭。 |
| 1814年 |
ホース・シューベントの戦い |
クリーク族大敗。ジョージア、テネシーからフロリダ
へ追われる。 |
1816年
〜
1818年 |
第一次セミノール(族)戦争 |
アメリカ軍がフロリダへの逃亡奴隷(黒人)探す為
セミノール族の拠点を襲った為始まる。 |
1832年
〜
1841年 |
第二次セミノール戦争
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ペインズ・ランディング条約
セミノール族は、3年以内にフロリダから退去する
様に命令された。(強制的条約)
これを拒んだセミノール族大酋長オセオラが部族
を率いて立ち上がった。
オセオラ、抵抗運動を組織する。
同年の12月28日キング砦(フロリダ)の戦い
同年の12月28日ウィスクラーチの戦い
1836年〜1837年、アメリカ軍は、何回も遠征隊を
送ったが失敗した。 セミノール族はエヴァグレーズ
に撤退した。
1837年12月25日オキチョビ(フロリダ、オキチョビ湖)
の戦い
1837年、和平会談と称し、オセオラを騙し討ち。
1838年1月30日、マリオン(モルトリ)砦の独房で
死亡
1841年セミノール族、降伏。
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| 1832年 |
ミシシッピ川の戦い |
ソーク族ブラックホーク軍VSエイブラハム・リンカーン軍
カンザス州及びインディアン準州に追い込まれる。 |
1838年
〜
1839年 |
「涙の行進」トレイル・オブ・ティアーズ
チェロキー族
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| 1841年 |
サンタフェトレイルの幌馬車襲撃 |
カイオワ族。
テキサス〜ニューメキシコへの交易ルートで白人の
幌馬車を襲う。 |
| 1854年 |
「西へ行く」(ゴーウェスト)〓死にに行く |
コマンチ、カイオワ−アパッチ、クロウ、シャイアン、
アラパホ、オセージ、ソーク、フォックス族が同盟。
「西へ行く」が「死にに行く」を意味する様になった。 |
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スー族、シャイアン族等の平原インディアンとの戦争
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| 1862年 |
ミネソタ峡谷の叛乱 |
サンティー(スー)族。
南部同盟が敗北して条約にあった年金を支給しない。
数週間で1000人の白人を倒したが結局敗北。
エイブラハム・リンカーンは、38人のインディアンを
絞殺刑。 |
| 1864年 |
シヴィングトンの大虐殺 |
別名サンド・クリークの大虐殺
映画「ソルジャー・ブルー」のモデル。
休戦中のシャイアン族の女性、子供150人を残虐非道
な手口で大虐殺。アメリカインディアン抗争史上最悪の
悲劇。 |
| 1865年 |
プラケット橋の戦い |
オレゴントレイル |
| 1866年 |
レッド・クラウドの戦い |
西部ダコタ族と合衆国軍の戦争。
オグララ(スー)族の天才軍師レッド・クラウド率いる
インディアン軍が勝利を収め続けた。
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| 1866年 |
フェッターマン大虐殺 |
ワイオミング。
スー族により、ウイリアム・フェッターマン率いる81人
の部隊を全滅される。
数少ないインディアン軍の勝利 |
| 1867年 |
ヘインフィールドの戦い |
同年8月1日 モンタナ |
| 1867年 |
ワゴンボックスの戦い |
同年8月2日 |
| 1868年 |
ビーチャーズ・アイランドの戦い |
カンザス。
1868年9月17日〜25日。 |
| 1868年 |
ワシタ川の大虐殺 |
1868年ー69年の対インディアン戦争の中で最悪の
悲劇。有名なジョージ・カスター中佐指揮の下、騎兵 隊による南シャイアン族のオクラホマのワシタ川の村 を襲い、女性、子供まで手当たり次第に虐殺。
これにより、インディアンからは、「女殺し」と呼ばれる。 |
| 1869年 |
サミットスプリングの戦い |
コロラド。同年7月11日 |
| 1871年 |
ソルト・クリーク・プレーリーの戦い |
テキサス。同年5月18日 |
| 1872年 |
マクラレン・クリークの戦い |
テキサス。同年9月29日 |
| 1874年 |
レッドリバーの戦い |
テキサス。同年7月20日ウィリアムシャーマン総力戦
を宣言。
カイオワ族ローンウルフがコマンチ族と手を組みパロ・
デュ砦に立て篭もって応戦。
10月24日サタンタ降伏。 |
| 1874年 |
アドービ・ウォールズ(交易所)襲撃 |
クアナパーカー(コマンチ族)がコマンチ族、カイオワ族南部シャイアン族の連合軍を率いてテキサスにあった
白人猟師の交易所アドービ・ウォールズを襲撃 |
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1875年6月2日クアナパーカー(コマンチ族)降伏。 |
| 1876年 |
パウダー川の戦い |
同年3月17日
クレージー・ホース大暴れ
合衆国軍退却 |
| 1876年 |
ローズバットの戦い |
同年6月17日 |
| 1876年 |
リトル・ビッグ・ホーンの戦い |
モンタナ。
金を求めた白人達がスー族の聖なる山、ブラック・
ヒルズに殺到してきた事から叛乱を起したのが
始まり。
同年6月25日
ジョージ・カスターは、インディアンの集中が予想
出来ないほどの規模に膨れ上がっていた事にも
関わらず攻撃を仕掛けた。
シッティング・ブル率いるスー、シャイアン連合に
より、264名全滅。 |
| 1876年 |
ウォーボネット川の戦い |
ネブラスカ
同年7月17日 |
| 1876年 |
スリム・ビューティズの戦い |
ダコタ。
同年9月9日 |
| 1876年 |
ダル・ナイフの戦い |
ワイオミング
同年11月25
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| 1877年 |
ウルフ・マウンテンの戦い |
同年1月8日 |
| 1877年 |
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同年5月6日 クレージー・ホース降伏 |
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1877年の内に多くのスー族が降伏。
シッティング・ブルは、カナダへ逃亡
同年9月7日
クレージー・ホース捕らえられ監禁中に死亡
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| 1878年 |
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同年3月27日
リトル・ウルフ降伏。 |
| 1881年 |
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同年7月19日
遂にシッティング・ブルアメリカに戻り降伏 |
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アパッチ族との戦い
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1861年から1886年まで続いたインディアンの歴史の中でも最もなかく悲惨な戦いであった。
アパッチは、荒々しく略奪的な部族でメキシコでの急襲をほとんど行なった。
しかし、1861年からアリゾナとニューメキシコを威嚇しはじめた。
攻撃が和らぎ始めた後、アリゾナのグラントキャンプの友好的なインディアンの村に自警団が急襲して、
攻撃が再開された。
やがて政府がアパッチ族を保留地に移住させるまでアメリカ軍は不安定な平和を押し付けた。
インディアンの指導者、ビクトリオは、1880年に殺されたが彼の後継者ジェロニモはいっそう決断心に
富んだ指導者だった。 |
| 1860年 |
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ミンブレス山脈で金鉱見つかる。(アリゾナ) |
| 1861年 |
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2月4日(チリカワ)アパッチ族コーチーズ、誘拐で告発される。
混血の少年と家畜を盗んだ疑いだったが、実際は
身に覚えのない事だった。
アメリカ軍とアパッチ族の抗争の火付け的事件 |
1861年
〜
1862年 |
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上の事件がきっかけでマンガス・コララドスと
コーチーズ率いる連合部族が白人を殺しまくる |
| 1862年 |
アパッチ峠の戦い |
7月15日。アリゾナ・ツーソンの近く。 |
| 1863年 |
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1月17日
ミンブレノ・アパッチ族の酋長マンガス・コロラドス
(コーチーズの義理の父親)捕まる |
| 1871年 |
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4月29日
アリゾナ・キャンプグラントでインディアン多数虐殺さ
れる。 |
| 1872年 |
ソルト川峡谷の戦い |
12月26日 |
| 1873年 |
タレット山頂の戦い |
3月l27日 |
1872年
〜
1873年 |
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アパッチ族多数がクルック将軍の軍門に下る。
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| 1874年 |
コーチーズ死去 |
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| 1879年 |
ビクトリオの戦い |
1879年9月4日〜1880年10月16日
アパッチ族(系統不明)酋長ビクトリオ死亡 |
| 1880年 |
ティナジャデ・ラ・パルマスの戦い |
テキサス
7月30日 |
| 1882年 |
ジョロニモ捕獲 |
メキシコl
8月。ジェロニモとその配下の仲間がメキシコへ向けて保留置を脱出。
1882年、9月クルック将軍指揮下の騎兵隊に追撃され
捕われる。 |
| 1885年 |
ジェロニモ逃亡 |
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| 1886年 |
ジェロニモ捕獲
インディアンの白人への抵抗終焉
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1885年5月に逃亡したジェロニモ、1886年9月4日、スケルトン峡谷(アリゾナとメキシコの境)でマイルズ将軍に追いつめられ降伏 |